ハーバーマス『後期資本主義における正統化の問題』
ネット購入。2022年1月10日受け取り。
難解。訳語が日本語になっていないように感じるほど。ただところどころその主張になるほどと思うことはある。
書名:後期資本主義における正統化の問題
著者:ユルゲン・ハーバーマス
訳者:山田正行、金慧(きむ・へい)
出版:岩波文庫(2018年1月16日第1刷)、原著は1973年
《目次》
凡例
まえがき
第一章 社会科学的な危機の概念
第一節 システムと生活世界
第二節 社会システムのいくつかの構成要素
{・・・わたしは、そもそも社会進化の基底にあるメカニズムは《学習しないではいられない》という自動作用にあるだろうと考えている。社会文化的な発展段階においては、学習することではなく、学習しないことこそが説明を要する現象である。ここに見られるのは、そういいたければ、人間の理性的なありかたである。これを下敷きにしてはじめて、人類の歴史の圧倒的なまでの非理性的なありさまがくっきりと浮かび上がって見えるようになる。さまざまな学習水準を区別するための形式的な観点は、われわれが二つの次元で学習するということ(理論的もしくは実践的)、そしてこうした学習過程が討議において認証することができる妥当請求と結びついているという事態から生じる。非反省的な学習は、暗黙のうちに提起された理論的および実践的な妥当請求が素朴に想起され、討議による検討をへないまま、それが受容されるか拒絶されるという行為連関においておこなわれる。反省的な学習は、疑問視された実践的な妥当請求を、あるいは制度化された懐疑によって疑問視された実践的な妥当請求を、われわれが主題として取り上げ、主張に基づいてそれに同意するか拒絶するという討議を通じておこなわれる。社会構成体によって可能となる学習水準は、社会の組織原理が、①理論的問題と実践的問題の分化を、②非反省的(前学問的)学習から反省的学習への移行を、許容しているかどうかにかかっているだろう。ここから四つのありうべき組み合わせが生じる。わたしの見方が正しいとすれば、歴史的に実現されたのはそのなかの三つである。・・・}
第三節 社会の組織原理の例示
//未開の社会構成体/伝統的な社会構成体/自由主義的資本主義的な社会構成体/
第四節 システム危機 ―自由主義的資本主義における危機循環を例とする解説
第二章 後期資本主義における危機の傾向
第一節 後期資本主義の記述的なモデル
//経済システム/行政システム/正統化システム/階級構造/
第二節 後期資本主義的成長から帰結する問題
//生態系のバランス/人間学的バランス/国際的なバランス/
第三節 ありうべき危機の傾向の分類
//経済的な危機の傾向/政治的な危機の傾向/社会文化的な危機の傾向/
{・・・資本主義システムの根本的矛盾は、他の事情が等しければ、以下のいずれかにいたりつく。
・経済システムは必要な程度の消費可能な価値を生産しない、あるいは
・行政システムは必要な程度の合理的な決定をもたらさない、あるいは
・正統化システムは必要な程度の一般化された動機づけを調達しない、あるいは
・社会文化システムは必要な程度の行為を動機づける意味をうみださない。
「必要な程度」という表現は、それぞれのシステムの成果(価値、行政的決定、正統化、意味)の規模、質、時間的次元に関係している。そのさい、同一のシステムの成果における個々の次元の間に、また、様々なシステムの間に代替関係が生じることは排除されていない。部分システムの成果は十分に操作できるようにされ分離され得るのかどうか、またシステムの成果にとって決定的な需要の詳細を十分にとらえることができるのかどうかというのは、別の問題である。・・・}
第四節 経済的な危機の定理について
第五節 合理性の危機の定理について
{後期資本主義国家の機能様式は、〔正統派の主張する〕依然として自然発生的に働いている経済法則に従って無意識的に行動する執行機関というモデルを用いて把握することはできないし、〔国家独占資本主義理論の主張する〕団結した独占資本家のために計画的に行為する代理人というモデルに従えば適切に把握できるというわけでもない。国家が再生産過程の中に引き込まれることによって、価値増殖過程そのものの決定要因が変化したのである。階級間の妥協を基礎として行政システムは一定限度の計画化能力を獲得し、これを形式的デモクラシーを通じた正当化の調達という枠組みの中で、危機回避の反応という目的のために利用することができる。その際、総資本家的な存続維持への利害関心が、一方では個別の資本群の互に矛盾する利害関心と競合し、他方では様々な住民グループがもつ使用価値志向型の普遍化可能な利益と競合する。危機循環は一定の時間を経て分割され、その社会的帰結において緩和され、インフレと公的財政の持続的危機に取って代わられる。こうした代替現象は、経済的な危機の制御に成功したことを表しているのか、それとも経済的な危機が一時的に政治システムへと置き換えられたことを表すにすぎないのかは経験的にしか答えられない問題である。それは、最終的には、間接的に生産に投資された資本が労働生産性の向上に成功し、これがシステム機能に即した生産性の向上分の分配において、大衆の忠誠を確保すると同時に蓄積過程を持続させるのに十分であるのかどうかにかかっている。
国庫は、ますます広範に社会化される生産に伴う共通費用を背負い込むことになる。すなわち国庫は、帝国主義的な市場戦略の費用や非生産的消費財(軍備や宇宙船)の需要の費用を負担し、直接的に生産に関連するインフラの給付(交通網、科学と技術の進歩、職業教育)の費用を負担し、間接的に生産に関連する社会的消費(住宅建設、交通、医療、レジャー、教育、社会保険)の費用を負担し、社会保障、とりわけ失業者に対する費用を負担し、果ては民間の生産によって生じる環境負荷の外部費用を負担する。こうした支出は最終的に税によって賄わなければならない。したがって、国家装置は、利潤や所得を吸い上げることを通じて必要な額の税を調達し、危機をもたらす成長の攪乱を回避し得るように、自由に使える額の税を合理的に使用しなければならない。もう一つは、税の選別的な徴収、その支出の明確な優先順位のモデル、そして行政の給付そのものが、生じてくる正統化の需要を満たすことができるようなものでなければならない。国家が前者の課題を果たさない場合には、正統化の不足が生じる(これについては次節を参照)
合理性の不足が生じるかもしれないのは、無政府的な商品生産と危機をはらんだその成長が自然発生的なものであり、そうした状態を引き起こす相互に矛盾する制御の要請が行政システムの内部で影響を与え始めるからである。・・・}
第六節 正統化の危機の定理について
第七節 動機づけの危機の定理について
{わたしが動機づけ(モチベーション)の危機という表現を用いるのは、社会文化システムが変化して、国家と社会的労働のシステムへの社会文化システムの出力が機能しなくなる場合である。社会文化システムが後期資本主義社会において果たす、動機づけの面で最も重要な貢献は、国民的な私生活主義、また家族的・職業的な私生活主義という症候群にある。国民的な私生活主義とは、行政システムの制御活動と給付活動に対する関心は高いのに、正統化の過程への関与は制度的に用意された機会に相応しいとはいえわずかである、ということである。(高い出力志向対低い入力志向)。つまり、国民的な私生活主義は脱政治化された公共圏の構造に対応しているのである。家族的・職業的な私生活主義は、国民的な私生活主義とは相互補完的な関係にある。それは、一方では大いに発達した消費とレジャーへの関心を伴う家族への志向、他方では地位をめぐる競争に相応しいキャリアへの志向である。したがって、このような私生活主義は、業績競争を通じて制御された専門教育制度と雇用制度に対応している。
この二つの動機付けのモデルのいずれも、政治システムと経済システムが存続する上で重要である。・・・}
第八節 回顧
第三章 正統化問題の論理によせて
第一節 マックス・ヴェーバーの正統化の概念
第二節 実践的問題の真偽決定可能性
第三節 普遍化可能な利益の抑圧のモデル
第四節 個人の終焉?
第五節 複雑性とデモクラシー
第六節 理性に与する党派性
原注
訳注
解説
訳者あとがき
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